学習障害(LD)の子どもを取り巻く日本の現状

学びの機会の喪失

 LDの認知度はここ数年で上昇しましたが、障害名が知られるようになっても、その病態について完全に理解されているとはいえません。むしろ誤解も多く存在しているのが現状です。

「読み書き」や「計算」は何度も練習すればできるようになる、という誤った認識から、効果の上がらない反復練習をさせられ無力感に陥る事例が存在することは前章で述べました。それに加え、LDは根本的に「気づかれにくい」という問題を抱えています。

 LDが気づかれるのはたいてい小学3年生前後です。「学校の宿題がなかなか進まない。」「テストの点数が上がらない」という問題が起こり保護者が必死に勉強を教えようとしますが、効果が上がらず受診することになります。問題なのはLDの診断がなされる時点で学習の遅れが広がっており、治療が開始されても他の生徒に追いつけないほど学習の困難さを抱えている可能性が高いことです。成績の問題が中心となるLDは、行動の問題が顕著な他の発達障害と異なり問題に気づかれるのが遅くなる傾向があります。発見が遅くなれば当然、支援的介入の時期も遅くなります。

さらに、LDの子どもの中には、学校教育に不適応を起こしてしまい、不登校になった結果、学習における空白期間を抱えてしまう子も少なくありません。情緒障害通級指導教室の実態調査によると、通級指導学級に通う発達障害のある小・中学性の多くが不登校になっているといいます。また、東京都内の情緒障害通級指導教室に通う学習障害と診断された小学生の11.1%、中学生の50%が不登校となっていることも報告されています。大学進学に至るまでの小中学生の期間に学習障害児が学習機会を失い、進学という選択を断念しているケースもあるといいます。このことからもLD児が学びの機会の喪失に直面していることがわかります。

障害の社会モデル

 LDの子どもたちが学習の機会の喪失に遭遇してしまうことは「しょうがない」ことなのでしょうか。ここで障害というものの捉え方について述べたいと思います。

 例えば、足の不自由な方が車椅子を利用しているとします。この場合、何が障害になるのでしょうか。立ってあることができないことでしょうか。しかし、車椅子があれば移動が可能です。高い所に手が届かないという意見もありそうです。

ところが、これも手に取りたいものが手の届く場所にあれば問題ありません。車椅子を利用している方の「障害」は、身体的な障害のみで起こっているわけではありません。

何らかの状況が加えられて起こるものです。具体的には、段差がある場所を移動しなければならない状況で「障害」が発生します。また、高い場所に物が置かれある環境で「障害」に直面することになります。一般的には「歩けない」 「目が不自由」 「耳が聞こえない」といった身体機能の制約を「障害」と捉えられる傾向にあります。

しかしながら、階段など段差しかない環境や「高い場所に物が置かれた状況」など、社会での環境のあり方・仕組みが「障害」を作り出しているということが理解できます。このような障害の捉え方が「障害の社会モデル」という考え方です。社会こそが「障害」を作っており、それを取り除くのは責務だとする立場です。

この逆の捉え方が「障害の個人モデル(医学モデル)」というものです。障害の個人モデルは、障害や不利益、困難の原因は個人の心身機能が原因であると捉えます。つまり、障害者が困難に直面するのは「その人に障害があるから」であり、その困難を克服するのはその人に責任があるという考え方です。

現在の社会で求められているのは、当然のことながら社会モデルの考え方です。社会には身体や脳の機能に制約のある多様な人々がいるにもかかわらず、社会はそのような人々の存在やニーズを無視して成立しています。学校や職場、町や地域のつくり、制度や文化など、どれも健常者を基準にしたものであり、そうした社会のあり方こそが障害者に社会的不利や困難さを強いていると考えるのが「社会モデル」です。障害があるから不利益を被るのではなく、「障害とともに生きることができない環境や状況だからこそ不利や困難が生じる」という風に社会モデルは発想の転換を促進します。

学習に関する困難も環境によって生み出されていると考えることができます。「文字や文章を正確かつ流暢に読めない」という制約は、知識のインプットをする手段が文字情報しかない環境によって生み出されます。「字を書くのに時間がかかる」という制約は、自分の考えを表現する手段が書字しかないという状況が引き起こしています。子どもたちの多様なニーズを満たすためには、「学習に関する困難や不利益は環境によって引き起こされる」という社会モデルに則った考え方が非常に重要になります。

特性ゆえの困難を補う合理的配慮

 最近になり、障害をめぐる医療、教育、福祉の分野において「合理的配慮」というキーワードが登場する機会が多くなりました。2006年に国連総会で採択された「障害者の権利に関する条約」には、合理的配慮が次のように定義づけられています。

“障害者が他の者との平等を基礎として全ての人権及び基本的自由を享有し、又は行使することを確保するための必要かつ適当な変更及び調整であって、特定の場合において必要とされるものであり、かつ、均衡を失した又は過度の負担を課さないものをいう”

 日本においても、2016年4月に障害者差別解消法が施行され、公立学校では「合理的配慮」を提供することが義務化されました。合理的配慮とは、障害のある子どもが他の子どもたちと平等に学ぶことができるように、障害のあるそれぞれの子どもにとって必要な支援やルールの変更、環境の整備などを提供するというものです。例えば、読むことに苦手さを感じている場合は、音声読み上げや音声教材を使う。書くことが苦手な場合は、パソコンやタブレットを使用してキーボード入力で代替する。先生の板書をカメラやスマートフォン等で撮影するのを認めるなどは、合理的配慮の一環となります。
 このような対応は、LDをもつがゆえの困難をサポートし、学習の理解や習得を促進します。それによって学習に対する自信や意欲を高めることも期待できます。もし、このような合理的配慮がなければスムーズに学習が進まず、やがて授業についていけなくなります。そういったことを防ぎ、子どもの可能性を伸ばしてあげられるよう、子どもそれぞれの特性や困難を見極め、やりにくいことをやりやすいよう補う手立てを提供していこうというのが合理的配慮だといえます。

新井清義

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